「形から入る」という表現がある。
お父さんがゴルフを始めるにあたり、とりあえずゴルフセットとゴルフウェア一式を購入してみるなんてのが、まあ、そんな感じだろうか?
で、「ゴルフなんてやったことあったっけ?」・・・「これから」みたいな(笑)
そして商品の選択においては「〇〇プロと同じメーカーの〇〇」「〇〇プロと同じ色のポロシャツ」であるとか、「〇〇製のゴルフクラブ」といったように、より具体的であればあるほど「形から入る」度は上がる。
どういうわけだか知らないが、そうした拘りを持つことで、まるで“能力が向上した”かのような錯覚に溺れられたりするという寸法だ。
“溺れられたり”といった“溺れる”を肯定的に用いるというのも些かおかしな表現ではあるが、ある種の“麻薬効果”と解釈すれば、上記の“錯覚”は敢えてのトリップ体験、すなわち罪のない軽微な“幻覚”であり、ちょっとした“現実逃避”という名の合法ドラッグである。
もう少しファンタジーの世界に歩み寄り、現代消費社会が生み出す“魔法”と表現した方が聞こえは良いかもしれない。
ステルスマーケットなる言葉も存在するが、束の間の幻覚、ちょっとした妄想の世界にまで“経済”という名のステルス戦闘機が介入してくるのには些か抵抗感を感じないでもないが・・・
まあ、現代社会に対する愚痴はこれぐらいにするとして、実のところ、この「形から入る」というのはそう悪いことばかりでもない。
例えば、“芸術”なんていうものはそもそも模倣から始まるわけで、先例に倣うということが後のオリジナルにつながるとも考えられる。
そうした意味での模倣、平たく言えば“真似る”というのは技術修得の第一歩だったりもするわけで、少なくとも“知的営み”にとっては結構、大切なことだったりするわけです。
というわけで、今回ご紹介する本は、渡部昇一著『知的生活の方法』となります。
個人的な話を少々させていただくと、15歳のころの愛読書がこれ。
その後の自分に大きな影響を与えていると言っても過言ではありません。
今、こうして webマガジン「T2(“TokyoTime”の略)」に執筆させていただいているのもこの本の影響あればこそ。
では、一体どんな本なのか?
一言で表現すれば“知的生産を志す者のための生活術”といった感じでしょうか。
この“生活術”というのがミソで、ファイルの方法やカード等、具体的な方法に関するノウハウ本は昔から数多存在しますが、そうしたものよりもう少し抽象度を上げたところから書かれた本という点で、昨今流行のライフスタイル本の先駆けといった趣すらあります。
実際、知的生産に適した“理想の家”の間取りや、食生活に関する項目もあるぐらいですので、まさにライフスタイル本です。
実際、15歳当時の私は、まるでファッションモデルや芸能人のライフスタイル本の「〇〇のメイク道具を使ってまーす」に影響されて同じ商品に群がるミーハーお洒落女子の如く、“知的生活”に憧れを抱いていた節があります。
「そうか、カントは食事(いわゆる“食事らしい食事”)は1日1回だったのか。それも午後に数時間かけて知人との会食かあ・・・。なるほど、毎日決まった時間に散歩していたんだな」ってな具合に、知的生活における時間の使い方や散歩の効用、食事や会話に至るまで、「日常生活に“知的生活”というコンセプトがいかに反映されうるのか?」といったことが学べるわけです。
大人になってからは「ゲーテは1日2本白ワインを空けていたのかあ・・・まあ、1本ぐらいなら全然楽勝じゃん!」などという“知的好奇心”という名の“言い訳”に使ったりなんかして・・・まあ、“知的生産”の方はともかく、お酒の方は強くなりましたよ。お陰様で(笑)
“蔵書を所有する”こともこの本から学びました。
お陰で、狭い我が家は 1 万冊以上の本が部屋あちこち、廊下、階段と、人間様よりも大きな顔をして鎮座してお られます。横を通るときなんか、「すみません、通りまーす」などと許可を取るかのような慎重さがなければ“ご本様”の怒りに触れ雪崩が起きます。
ただ、そんな状態でも蔵書を処分しないのにはそれなりの理由もあるわけで・・・ こうして自宅を図書館化することで大抵のテーマが執筆可能となったりするのです。
実際、大学院の修士論文はほぼ4日で書き上げました。
そして現在、私の次なる目標は、中庭と図書館を有した“理想の家”を建てることだったりしています。ちなみにこの中庭=パティオという言葉は、15歳のころにこの本で初めて知りました。
先ほど、この本ついて“知的生産を志す者のための生活術”と表現しましたが、もしかすると“知的生活の哲学が学べる本”とした方が、ちょっと抽象度は上がりますが、より本質的で的を得た表現となるのかも知れません。
もちろん、ここでいう“哲学”はいわゆる学問分野の哲学のことではなく、“信念”ないしは“生活信条” といったような意味での“哲学”です。
少なくとも私に関して言えば、一生物の“価値観”ないしは“指針”といったものを構築していく上で、多大な影響を受けた本であることはどうやら間違いなさそうです。
しかも、人生の本格的な第一歩(私の場合は15歳)とでもいったような時期に この本に出会えたことは大変幸運であったと思えるのです。
とは言え、この本は子供用に書かれたものではありません。むしろ大学生以上の “そこそこの大人向け”に書かれた本ではないかと思われます。
ですので、大学生はもちろん、“学び直し”にご興味を持たれている方、果ては“学び”の環境から遠ざかって久しい社会人の方に至るまで、知的好奇心をお持ちの “大人(特にヤングアダルト世代)”の皆さまにも大いに参考になる部分があるのではないでしょうか。
もちろん、私がそうであったように中学、高校生の皆さんにも是非、読んでいただきたく思うオススメの一冊であります。
執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy