近頃、妙な“虚しさ”を感じることが多い。
しかも、“妙に”ではなく“妙な”なのである。
“脳味噌”やその船頭さんとしての“心”が運動不足というか・・・
どうやらその原因は“過程の割愛”にあるようだ。
昨今、ボタン一つですぐに“目的の地”に辿り着いてしまうその便利さゆえ、過程と戯れることで“仕組み”“成り立ち”といったものを“理解する喜び”とでもいったようなものが希薄になってしまっているように感じるのだ。
一昔前なら「で、どうすればいいの?」と問題すら理解しないで結果だけを聞きたがる“ダメな子”のような状態が標準化されてしまっているような・・・
まあ、そんな“虚しさ”を感じるのだ。
AIの進化とともに、こうした傾向はさらに加速するのであろう。
妙な法案が平気で可決されたりするのを見ると、“世も末”などと思わずにはいられないわけであるが、やはりここでも“妙な”なのである。
どうやら、すでに“妙に”の段階を通り越して“妙な”が平気でまかり通る世の中になってしまったようである。
俗物が掲げる“良いこと”は古今東西、大抵“妙な”ものである。
“反抗心”は人類に与えられた“最大の武器”であり、“知性”である。より正確に言えば「“知性”でなければならない」のだ。
そもそも“自動”、言い換えれば“受動”が「信じられるに値するものか否か?」を判断するのは誰?
そうした意味で、手作業(“機械によらず、自らの頭と手を使う”の意)に勝るものなし。
というわけで、明日の文化村サロンも“盛り沢山の内容”となりそうな予感(笑)もちろん、先週の取り残し分もしっかりお届けしたいと思っています。
どうぞ、お楽しみに!
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こちらの内容は6月18日(日)20時〜の配信となります。
ご覧になりたい方は、6月18日19時までに下記のページよりお申込みください。
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執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy