”文化村”とはなんぞや?
ええと、それほど別にたいした意味はありません。
私が生まれ育った土地の名前。それだけのことです。
”村”と言っても、そこは東京の都庁所在地新宿区。
今からちょうど100年前、1922年に分譲されたのが”文化村”。
我が関口家は分譲された直後に入居した最古株の一軒。
現在は”落合”という地名が使われ、あまり”文化村”という呼び名は使われなくなりましたが、古い人には今でも”文化村”で通じます。
私が小さかった頃は、 ”文化村らしさ”とでも言ったような地域の雰囲気もまだ残っており、祖母などが地元の商店に配達を依頼する際には「文化村の関口です」で通じました。一度たりとも住所を伝えていた記憶がありません。
この ”文化村の関口”は、単に”関口”と名乗るよりもしっくり来るのです。いわば私のアイデンティティになっていると言っても過言ではありません。
少々風変わりな少年であった私にも”文化村”は寛大でした。雑誌『サライ』によると、うちの曾祖父さんというのが会津八一、兼常清佐と並んで”文化村三奇人”だったそうで、そうした奇人の曾孫だったということもあり、私の奇人ぶり?も「関口さん家の坊ちゃんだから」といった調子で、いわば文化村的治外法権を享受していた訳であります。
かつて、”文化村”で創造的な遊びに興じていた関口少年は、家の庭の一角に秘密基地を作りました。表札がかかっていた塀の裏側のくぼみにそれはありました。ですが、そこにあるものといえば土ぐらいなもので、実際のところ何があるという訳ではありませんでした。でも、”基地”だと思うだけでなんだかワクワクしたものです。また、それを自身のお眼鏡に適った”友人という名の悪ガキ”どもと共有することも喜びでもありました。
あの頃が楽しかったのは紛れもない事実ですが、今もあの頃の様に楽しくありたいものだし、実際、そうあっても良い筈だと思うのです。
秘密基地の特権は決して子供だけのものであってはならない!
子供の頃、「大人はなんでも自由に出来ていいなあ〜。大人になったら・・・」などとよく考えたものです。
ところが、いざ大人になってみると、特に根拠は無いにも拘らず ”そうは問屋が卸さない”的同調圧力の様なものに気を使いながら生きていたりするのが世の大人の常。
幸い、私の場合は文化村スタジオ(書斎兼レコーディングスタジオ)という名の最後の砦を持ってして、幾ばくかの治外法権を細やかながらも楽しんでいたりする訳でありますが・・・
まあ、兎にも角にも”世間の常識”という名の”大人のしがらみ”を金輪際無視して生きてみようじゃないか! とするのが ”文化村的”だとするならば、私はかつて文化村の庭の窪みに作った秘密基地を人知れず復活させて、自由で個性的なライフスタイル作戦を暗躍?しようではないか!というのが”文化村の秘密基地”のミッションであります、ハイ。
執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy