衣食住創
”意図された情報”と”意図された解釈”、私たちの周りはそうしたもので溢れている。
もはや、そうした喧騒(意図された情報の氾濫)から遠く離れ、自らの自由意思と静かに対話することすら不可能と思われるまでに・・・
当然、それは生活の基礎であるところの”衣食住”においても例外ではない。
私たちの生活を取り戻すことは可能か?
”創”は、私たちがそうした”意図された情報”に晒されることで生成された”パラダイムという名のある種の監獄”を瓦解する可能性を有している。
・・・というのが私の主張だ。
以前、何かの本で心理学者が「芸術家は欲求不満だ。”有るもの”では満足しないから、”無いもの”を自ら創ろうとする」といった旨の発言をしていた。
まあ、確かに・・・
そういった意味では、既成の枠組み(思考の枠組み)=パラダイムの外に自らの意思を投影することで、そうした枠組みを瓦解させようという”力の方向”の様なものを”芸術創造”は潜在的に有していると言えるだろう。(※”芸術”という名の”商品”に関してはまた別の話。)
そうした創造性に”自由への意志”を見るのは私だけだろうか?
こんなふうに考えてみても良い・・・”不自由な社会”からドロップアウトすることで”自由な社会”を得る・・・手段としての芸術創造。
ちなみに、直接的に技術を持ってして創造と関わることが難しいとしても、”創造的な解釈”は可能だ。
この”創造的な解釈”というコンテクストにおいて、マルセル・デュシャンのレディメイド、いわば”見出されたもの”、すなわち既製の情報(当然、”物”も含む)に対する”見出された芸術(性)”とでもいったような”創造の手法”は有効となる。
少なくとも現代(2023年)を生きる私たち日本人にとって・・・”自らの生活”の構築には、”自由”の奪還とあらゆる情報の脱構築は必須となる。
同じ顔をした人たちが、同じ方向に向かって、壊れるまで規則正しく歩み続ける姿に”嫌悪感”を通り越して”戦慄”すら感じるのは私だけだろうか?
さて、明日の文化村サロンは・・・
衣食住創の”衣”の部分について(の続き)etc.
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こちらの内容は4月16日(日)20時〜の配信となります。
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執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy