いつもは”創造”という言葉を使うことが多いのだが、私の中でこの”創造”は、ちょっとばかりマクロな視点からのモノ創りというか、些か観念的なニュアンスを持つ。
一方、”創作”と言った場合は、実際に手を動かしている感じと言うか・・・要するに、作品を生み出す直接的な”行為”を意味するのだ。シンセサイザーで音作りをしたり、ProToolsをクリックしたり、フィジカルコントローラーのつまみを弄ったりetc.
そんな訳で、今回は敢えて”創作”と言う言葉を使わせて頂く。
歯を磨いたり、料理を作ったり、食事をしたり、食器を洗ったりといった日常生活の一部としての創作。
芸術家と言われる様な人の場合、この”創作”を中心に生活が回っている点が、一般的に使われる”生活”の概念と些か異なる点だろう。”生活が回っている”などと表現すると誤解を受けそうだが、もちろんここに”生活費”の意味は含有されていない。あくまでも”精神と時間”の問題だ。
どちらかと言えば、サラリーマンのそれよりは、農業のそれに近いかもしれない。
芸術家だけではない。学者なんかもそういうところがあるだろう。ただ、ここで言う”学者”は単に”大学教授ならば学者”といった類の話ではない。この場合、毎年毎年、同じノートを使って同じ講義を繰り返しているだけの大学教授を”学者”とは呼ばない。もちろん、大学教授に学者が多いのも事実だろうが、”職業先生”と”学者”が必ずしも一致するとは限らない。
まあ、こうした考え方は曾祖父さんからの影響だろう。
この曾祖父さん、語学者だった人だが、家族ぐるみの知人やら重要人物?が来訪し、宴もたけなわ談笑中でも、何かを思いつくと突然「失礼」といって書斎に引っ込んでしまう。そして、そのまま出て来ないなんてこともしょっちゅうだったらしい。本人曰く「思いついた時に書き記しておかないと・・・」ということらしい。要するに世間付き合いよりも研究、彼の言葉を使えば”勉強”なのだ。これなんかは先の”創作”(この場合は”勉強”)を中心に”生活が回っている”分かり易い例である。
まあ、これなんかは世間一般的に”非常識”、”生活不適応者”、”変人”といった刻印を押される好例で、実際、この爺さん、自身の親からも「あの変人」と呼ばれていたぐらい。雑誌の『サライ』でも文化村の3奇人の1人に挙げられていたが、こうした良く言えばマイペース?な生活、ないしは行動がそう呼ばれる所以であろう。
だが、彼的には”勉強”(芸術家で言えば”創作”)が、その他の生活etc.よりも上位に位置していたというだけの話。
まあ、この様な生活スタイルを実践する為には、精神的な意味で”社会に依存せず、適当な距離をとる”ことが必要であろう。また、物理的な生活環境にもある程度の条件が必要と思われる。そうなると、家屋のデザイン(外観の話では無い)なんかも視野に入ってくる。
で、話を戻して・・・それでは、現代の芸術家で理想的と思われる生活&環境を手にしている人物は何処にいる? などと考えてみたりしのだが、有名画家には結構理想的な創作&生活を営んでいる人物が多い様に思われる。私的にはバルテュスなんかもそう。だが、音楽家や演劇人に目を向けるとあまり思いつかない。
というか、演劇人に関してはどんな生活をしているのか知らないし、そもそもあまり興味が無い。”最後の演出家”という職業を全うされた蜷川幸雄氏の”離れ”の写真なんか見ると「こういう書斎も良いなあ」とは思うけれども、まあ”それだけ”と言えば”それだけの話”。
今のところ、”創作”と”生活”といった観点から、唯一、憧れらしきものを持っているのはブライアン・イーノのそれ。
普通、海外ミュージシャンの生活なんていうと、大抵ろくなもんじゃ無い(笑) 犯罪者ギリギリ、ないしは犯罪者側への一線を楽勝で超えてしまった人物たちが目に余る。そんな中、若かりし頃にはロキシーミュージックのSE担当?として、デーモン小暮もビックリなド派手な衣装とメイクでシンセサイザー を弄っていた”あの変な男”が、愛する子供たちに囲まれて、こんなにも真っ当な生活を営んでいるとは・・・しかも現在は、”音楽家”のほかに”哲学者”なんていう肩書きまで追加されていたりする。
もちろん、ご本人と面識がある訳では無いので、実際どうなのかは知らないが、本を読んだりしてその生活を垣間見ると<”創作”と”生活”のちょっとしたモデルケース>かもしれないなどと思ったりするのである。
Brian Eno 『A YEAR』という本なのだが、これはブライアン・イーノの日記を本にしたもの。とは言っても、最初から読まれることを意識して書いた日記であるからして、プライベートがそのまま書かれているとは考えにくい。だから実際の彼の生活がこの通りなのか否かについては分からない。だが、”現代に生きる芸術家の日常生活”を考える上で、そこに書かれている世界は実に示唆に富むものである様に思われてならない。
イーノ氏のケースは、うちの曾祖父さんみたいなエキセントリック&ストイックなものとは些か様相が異なり、”家族との時間”や”友人との食事”といったステレオタイプの”わかりやすい生活”も、そのオリジナリティ溢れる”スタジオでの創作”と上手い具合に溶け込んでいる様に思われる。現代的な意味での”家族”を考えた場合は、こちらの方がより現実的というか、”理想”を”現実”に落とし込めている様に思われる。
このBrian Eno 『A YEAR』、98年に出版されているので・・・多分、その頃に購入した本だと思うが、今のところ、まだ ”こうした感じの生活”は ”憧れ”もしくは ”永遠の憧れ”のまま温存されている状態にある。
さて、私の生活は? と言えば・・・
本日、2022年5月20日は母の80回目の誕生日。
焼き鳥でも焼きながらの”細やかなお祝い”を・・・私はフグ酒で乾杯!
・・・まったく、日本人だなあ(笑)
執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy