気がつくと、そこに兜があった
過ぎ去りし昭和の光景・・・
子供の頃のそれと、大人になってからのそれには大きな隔たりがあるように思う
もちろん、変わったのは兜ではなく、私自身だ・・・それは間違いない
ただ、そうした私自身の変化について、ここで考えてみようとは思わない
何故ならば、そもそも “無意味” だからだ
問題とすべきは “あえて今更” についてなのであって、私の変遷ではない
この兜という“無意味”な存在と向き合うことを私に選ばせた “今” は私に何を語りかけているのだろう?
そう、“無意味”であるからこそ、そこに無限の自由が存在するのだ
“意味“とやらに一体、なんの価値がある?
“無意味”こそ私たちに与えられた自由への扉、そして無限の自由への入り口なのである
何処かの誰かの“意味がある振り”に“理解を示した振り”をもってして、そうした得体の知れぬ“意味“とやらをすんなり受け入れることになんの疑いも抱かなくなった、いわば動脈硬化を起こした私たち大人のための処方箋・・・
これを大人兜(オトナカブト)と言おう
執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy