この度、ART LIFE Booksより『ゼロベース思考の演劇術』(関口純)が発売されました!
8年間に及ぶ楽劇座の毎月連続公演がどのように創られていたのかの記録から読み解く、全く新しい演劇術。
「ないもの」ではなく「あるもの」を活かして創り上げるその方法は、役者志望や演出家志望など、演劇を志す全ての人の参考に!
ここでは<【第0章】はじめに・・・と言いつつ、実はもうすでに始まっております〜本書ご利用の手引き〜>を無料で試し読みしていただけます。
【第0章】はじめに・・・と言いつつ、実はもうすでに始まっております〜本書ご利用の手引き〜
自己紹介というのはどうも苦手です。“そんなもの”したところで人間関係がそれほど大きく変わるとも思えない。そもそも“他人が何をしているのか?”にそこまで興味を持つ人なんていないでしょ?だから“挨拶する”のも苦手なら、「私は〇〇株式会社という一応、その方面では老舗の〇〇会社で営業部長をしておりまして・・・」みたいな“挨拶をされる”のも苦手。私自身の心情を言えば、自分を大きく見せたいとも思わないし、かと言って卑下するつもりもない。
ただ、私はテレビタレントやらワイドショーのコメンテーターをやっている訳ではないので、“何者?”かの説明が最低限必要なのも頷ける。そうでなければ、もしかすると“大工”が書いているのかもしれないし、“医者”または“ピザ配達員”が書いているのかもしれないということになってしまう。もちろん、大工や医者、ピザ配達員が演劇の本を書いちゃいけないということはなく、それはそれで興味深くすらあるのだが、本書の内容的に、それではちょっと変な感じになってしまいますので、とりあえずは苦手な自己紹介とやらをしてみたいと思います。
私自身は、曾祖父が大正時代、新劇創成期の演出家・翻訳家・役者(のちに語学者に転身)で、祖母がクラシックのギタリスト、父は新劇プロデューサー、母は女優という芸術一家に生まれました。ですので、出入りする人たちもそうした関係の人たちばかりで、逆にいわゆるサラリーマンと呼ばれる人たちと触れ合う機会は少なかった様に思います。そうした環境に育ったものですから、幼い頃から将来、自分もそうしたことをやるのだろうと自然に思って育ちました。
高校生になると、いわゆる“クラシックの作曲”を音大教授のもとに通って学びました。それまでにもピアノは習っていたのですが、この頃から“職業訓練?”としての音楽を学び始めることとなります。一方、“演劇”に関してはどうだったかというと、実際に勉強を始めたのは20代の頃からでしょうか。幸いにも戦後日本演劇の重鎮、劇作・演出家の津上忠氏のもとで演出助手などをしながら演劇を学ぶことになります。
元々は全て“クラシック音楽の作曲”のためでした。いわばアルバイトとしてポピュラー音楽を作・編曲し、“音楽劇”という表現手段を得るために“演劇”を学びました。ですが、気付けばそうした仕事が生活のほとんどを占める様になっていました。
音楽では日本テレビの役員の方に声を掛けて頂き、日本テレビ音楽さんで顧問(事業開発アドヴァイザー兼サウンドプロデューサー)として毎週、会議に出席したり、雑誌の取材を受けたり、作・編曲家・キーボーディストとしてレコーディングに参加していましたし、演劇方面では芸能プロダクションのアトリエ公演の演出などをやり始めると同時に、当時、高視聴率番組だった『3年B組金八先生』に出演するアイドル女優やミュージカル『アニー』に出演する子役、ファッション紙『セブンティーン』のモデル等のプロデュースや演技講師なども担当しておりました。
そうした中、大小数多くのオーディション(大企業がスポンサーのボーカリストオーディションから、芸能プロダクションの所属者オーディションまで)で審査員を経験し、数千人に及ぶ俳優志望者のレッスンを担当してきました。こうした経験が私にもたらしてくれたものは決して少なくない様に思われます。
果たして、この数千人中の何人が“それなりのカタチ”になったのでしょうか?
1つ断っておきますが、私がしたいのは“狭き門”についてのお話ではないのです。何故、“狭き門となるのか?”ないしは“何故、あえて狭き門を通ろうとするのか?”についてのお話なのです。
如何に多くの人が“狭き門を如何にすり抜けるか?”に注視するあまり、本来の目的を失ってしまったことか。
私が本書で書いたのはミッション:インポッシブルでのトム・クルーズや007のジェームズ・ボンドよろしく“狭き門をすり抜ける方法”ではなく、いわば“鍵のかかってない御勝手の扉から家の中に侵入する方法”です。まあ、こう書くとちょっとしたコソ泥の様で聞こえこそ悪いものの、まあ、この方が現実に即しているのは間違いない。まあ、確かに命がけで“狭き門”をすり抜けるアクションスターはカッコイイかもしれませんが、映画の中ですら、その“狭き門”をすり抜けることが出来ず何人が命を落としたでしょう? そうしたエキストラという名の犠牲があるからこそ、“狭き門”をすり抜けるアクションスターが映えるってもんです。
まあ、ここはハリウッドのアクション映画スタイルでの“エキストラ”ではなく、きらりと光るヨーロッパの小ぢんまりした名作映画スタイルの“主役”と行こうではありませんか?! もちろんこれは比喩ですが、まあ、そんな方法を扱っているのが本書という訳であります。
ちなみに、ハリウッド大作映画のアクションスターを目指す人はどうすれば良いのか? ヒットの延長がホームランでは如何でしょう? ゴジラ (松井秀喜)になるのはとりあえず捨てて、イチローを目指してみては? ね? こう考えてみればどちらが上・下の問題ではないでしょ?
さて、それでは、この辺りで、この本が何らかの形で“役に立つであろう人たち”について書いておきましょう。要するに、“どんな人たちに向けて書いた本か?”についてです。
・役者、演出家等、演劇を志す学生諸君やその親御さん。
・“社会人”と“演劇人”の二足のわらじで演劇を志す人たち。
・演劇に興味はあったものの、実際にはやってみる機会を待たぬまま時間だけが過ぎてしまった30代〜60代ぐらいの人たち。
・演劇部の顧問、アマチュア劇団の指導者。
・劇団を立ち上げたいけど、どうすれば良いのか分からない人たち。
・劇団は大人数いないと成立しないと思っている人たち。(実際の話、自分1人からだけでも始められます)
・場所はあるのだから「何か出来ないものか?」と考えている人たち。
まあ、ざっくりとした分類ではありますが、概ねこんな感じでしょうか?
要するに、演劇をやってみたい(すでに“やっている”も含む)が、どうすれば良いのか分からない、ないしは迷っている人たちに向けて書かれた本となります。ただし、大学の演劇科や専門学校、養成所の案内本みたいなものを想像してもらっては困る。むしろそれとは真逆に位置する本と思って頂きたい。
かと言って、アマチュア演劇のススメみたいな類の本を書く気などそうそう無い。そもそもそんな暇は無い。むしろ私が意図しているのは、そうした“プロ”と“アマチュア”の境界線を壊すことと言って良いでしょう。
私自身、いわゆる“芸能界”という場に身を置きながらも、一方で大学院在学中から“芸術創造と社会活動の互換性”をテーマに研究を続けて参りました。この研究は、ザックリと簡単に言ってしまえば、“社会活動の様々な局面で芸術創造の知恵を活用していこう”といった様なところです。
いわゆる“プロ”と称される“芸能界”の仕事の基準は、“売れるか?売れないか?”となります。ですので極端に言ってしまえば“技術”や“能力”は二の次です。もっと言ってしまえば、優先度は低い。ですので、歌の下手な歌手や、演技の下手な俳優なんてので溢れています。
その“技術”や“能力”で言えば、いわゆる“アマチュア”の方がよっぽど上手だなんてケースも少なからず目にします。実際、皆さんの周りでも「ヒットチャート1位のアイドルグループなんかより、バス停前の乾物屋のおばちゃんの方がよっぽど歌が上手い!」なんてこともあるのでは?
ただ、ヒットチャート1位のアイドルがコンサートをやるのなら兎も角、乾物屋のおばちゃんに「今度、駅前のカラオケ店でコンサートするから来て!チケットは5,000円ね!よろしく♡」なんて笑顔で言われたところで、とても5,000円なんぞ払う気にはなれません。こっちの方が“歌が上手い”にも関わらずです。まあ、これが一般的にいうところの“プロ”と“アマチュア”の違いとなります。
もちろん、全てが全てとは申しませんが、“技術”や“能力”が如何に関係ないのかを端的に示した例としては分かりやすいのではないでしょうか?まあ、多かれ少なかれ世間なんてものはそういったもので、そうなると“芸能界”が悪いのか?“世間”が悪いのか?よく分からなくなってきます。ですが、それが現在の日本における舞台芸術の“大通り”だったりするのもこれまた事実なのです。
もし、聴く人・観る人=お金を払う人たち=観客が、“技術”や“能力”の見方・聴き方を知り、そこで繰り広げられる“超人技”に対価を支払うのだとすれば、もしかすると、ミニスカートから覗かせる足が眩しい美少女よりも、歌の上手な乾物屋のおばちゃんの方に芸能事務所のスカウトが押し寄せるなんてことになるのかもしれません。まあ、我々を取り巻く現実世界からすると、もはやパラレルワールド級のお話ですね。とは言え、ミニスカートの美少女にはモデル事務所のスカウト、歌の上手な乾物屋のおばちゃんには芸能事務所からのスカウトなんて棲み分けが一番健全な気もしたりするのですが・・・
まあ、ちょっとばかり寄り道してしまいましたが、兎にも角にも大切なのは、私たちの手に“芸術創造”を取り戻そうということなのです。演劇は、決して“テレビで微笑むあの子”だけの特権ではないのです。誰もがそれを“創る資格”を有しているのです。昨今、YouTuberと呼ばれている市井の人たちが、下手なテレビタレントなんかよりもよっぽどタレント性を発揮しているこの時代、いよいよ“プロ”と“アマチュア”の差は無くなってきていると思われます。ある意味、いい傾向ではないかと思います。
ただ、一時期流行ったご当地アイドルの如く表面だけ真似して成り立つほど甘い世界でないのも“演劇”だったりするのです。確かにメジャーな世界でも“アイドルタレントの初舞台”といった様な観るに耐えないものも存在しますが、それは盲目のファンあって初めて成り立つ世界であり、また、そこにそれなりに優秀なスタッフが集まって照明、音響etc.あの手この手を駆使して学芸会をパフォーマンスに仕立てるのです。こうなると、ちょろっと表面だけ真似してできる世界ではありません。もちろん膨大なコストもかかります。
そうした無駄?なコストを掛けずとも、“演劇”を成り立たせるにはどうしたらよいのか?についても本書では扱っていきます。もちろん、これはお金をかけること自体を“無駄”と言っている訳ではなく、“出来ない子”を“出来る子”に見せるために膨大なお金を掛けることが“無駄”だと言っているだけの話です。
私に言わせれば“出来ない子”を“出来る子”にすれば良いだけの話なのです。すなわち“教育”です。ですが、現在すでに売れっ子状態にあって学ぶ時間、いや、睡眠時間さえままならない人間に“技術”を身に付けさせるだけの時間的有余はありません。目の前の仕事をなんとかやっつけるのだけで精一杯でしょう。そういった意味では、まだ何者でもない人間に分があるとも言えるのです。これが私が考えるところの教育(この場合は演劇教育)の可能性であり、重要性です。
さて、ここまでお読み頂いてお気付きかと思われますが、私の自己紹介だった筈が、いつの間にか業界の仕組みであったり、その問題点や改善の提案みたいなものに代わってしまっておりますが、何を隠そう、これこそがこの本全体を通しての“スタイル”となります。自らが経験・実践してきたこと、それが何だったのかの分析(時に反省)を通して、私たちを取り囲む“演劇環境”の本質的な問題点を浮き彫りにしていこうという試みです。私自らの人生を実験場とする、いわばフィールドワークといった趣もありつつ、演劇創造、ないしは演劇人(指導者、役者、演出家)としての身の振り方に関する“現場目線でのお役立ち情報”を提供させて頂こうというのが本書の狙いとなります。
もちろん、この本に書かれている内容は、小難しい演劇書のそれではありません。“難しいこと”を“如何にやるか?”については書かれていますが、決して難しくは書いておりません。世の中には“簡単なこと”をやたら勿体ぶって、却って“難しく”書いているのでは?と勘繰りたくなる様な書物も時折見かけますが、本書では、そうした“カッコつけ”の類は出来る限り排除する方向で執筆させて頂いております。
決してスマートとは言い難い、私の実体験(まだ舗装されていない凸凹道)に沿って“きっと、何処かの誰かの役には立つだろう”と思われるエピソードとその分析を中心に、時には、重要と思われる“技術”についても若干触れさせて頂いております。
この“技術”については、改めて別の機会に詳しく書くつもりではありますが、どうしても「外せないなあ」と思った箇所だけ、例えば“台詞術”といった様な話も出てきます。まあ、それとて決して“難しい”書き方はしておりませんのでご安心下さい。ただ、それ(上手く台詞を喋れる様になる)が出来る様になるのはまあまあ“難しい”ことではあるのですが・・・。
まあ、兎にも角にも、2010年、自ら制作母体を立ち上げ、2012年以降は自身の所有する劇場で毎月連続、新作を中心とする演劇作品を上演して参りました。そして2020年2月、記念すべき100作品目の上演をもって8年間に及ぶ前人未到の“連続公演”に終止符を打つまでの10年間、「よくやって来れたもんだなあ」と我ながら感心するぐらい様々な出来事がありました。
こうした一連の試みは、一見、非常識だけれども、裏返せば、そうした“常識に縛られない”柔軟な頭があっからこそ、不可能を可能にし、様々な障害を乗り越えて来れたのではないかとも思うのです。いわば“道なき所に道を創る”作業です。そして、こうして蓄積されたノウハウはきっと“誰かの役に立つ”筈だとも考えます。
本書は、“ゼロベース思考の演劇術”における入門編に位置します。ですので、そうした雰囲気をザックリと掴んで頂くことを目的として書かれており、なるべく込み入った話?は避ける様に配慮したつもりではあるのですが・・・何分、私自身が込み入った性格?なもので、少しばかり理屈っぽいキライがある点については否めません。
まあ、そうした私の性格に由来する“若干面倒くさい部分”は何卒ご了承頂くとして、少しでも皆さんのお役に立てることが出来れば、これ幸いであります。
しかし、それでも「本を読んでる時間すらもったいない!今すぐ何か始めたいんだ!」であるとか「本を読むのに時間がかかるので・・・」といった方は、私たちのオンラインサロンの方にでも顔を出して頂いて、質問・相談などして頂ければ、直接お答えさせて頂きたいと思います。
“プロ”と“アマチュア”の境界線を取っ払う!を標榜している以上、書籍、オンラインサロン問わず、“モノ創り(演劇、音楽等、舞台芸術全般)”に関する“プロ”と“アマチュア”のシームレスな環境の構築を目指しておりますので、どうぞお気軽にご参加ください!
また、本書をお読み頂き、『ゼロベース思考の演劇術』の内容にご興味を持たれた方、ご質問、ご相談等ございます場合は、Rrose Sélavy presents『ゼロベース思考の演劇術』Online<表現の教室>に併設されております“文化村サロン”(オンラインサロン)や各種サービスをご利用頂ければ幸いです。
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参考リンク:Amazon
執筆:編集部
(c)Rrose Sélavy