最近、自分が探している”音”について考えている。
もちろん、ここ数年、創ってきた劇場音楽は紛れもなく”私の音”であることに間違いないし、『ルーシー・フラワーズ〜』の様な一見(一聴?)、アイドルpops風なスタイルを持つ”歌もの”に於いてすら、その和声や、対位法を用いて構築されたアレンジ等に”自分らしい音”は存在している様に思う。もっと遡れば、20年ぐらい前に作・編曲した仕事にだって”自分らしさ”を認める事は出来る。
ただ、探している”音”については、それが何なのか? 未だに分からない。
ところがここ数日、”何か”に近づいた様に感じている。
ここのところ、このサイトの文章や、研究資料の作成などを通して<都市における”創造”と”環境”の問題>を考えているうちに、ちょっとした閃きの様なものが浮かんだのだ。
ブライアン・イーノの仕事を通じて、”アンビエント・ミュージック”に対する”再評価”みたいなものが私の中に生まれつつあるのは先日の文章でも触れたが、私はまだそこまで「”老成した境地”にはなれない」と言うか、そこまで「物分かりの良い人間ではない」と言うか・・・
”私の中のリアル”という視点で言うならば、<”都会のノイズ”とほんの一瞬の”静寂”が織り成すダイナミズム>こそが”私のアンビエント”であり、それこそが本当の”自分らしい音” ないしは、探し続けている”自分の音”なのではないだろうか? と、まあ、そんなことが頭を過ったりするのである。
とりあえず、シンセサイザーにディストーションでも繋いでみようかしら?
いや、”コト”はそう単純な話ではない。
今、ちょっと12音技法的な構成法を考えている。今更だけど・・・
どうやら”音高”と”音色”については”音のイメージ”が掴めてきた様な気がする。
今回は、五線紙に音列をメモしてからスタジオの電源を入れるとしよう。
執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy