私が取り組んでいる”創造的ライフスタイル(の実践)”研究とは、”創造”を生活の中心として暮らす上での”環境構築についての技法”を意味し、そうした生活を営んでいたと思われる先人の暮らしとその創作活動から多くの知見を得、上記の“環境構築“にフィードバックしようとする試みである。
まあ、説明するなら、こんな感じかしら?
で、この場合の”創造”とは、新しいものを産み出すことはもちろん、新しい考え方(解釈)を示すなど、創作・表現・研究に関するオリジナリティ、独自性の強いもの全般に対し有効な概念であると考えて頂ければ良いかと。
ちなみに、”個人的関心に基づく創造”を対象としている故、プロ・アマみたいな区別は設けず、あえて言うならば、”創造を生活の中心に位置付けている人物”をその対象とします。
で、そうした個人の集積による”地域創造”というコンテクストにおいて”目白文化村”とその”文化資本”のお話が関係してくると。
私の場合で言えば、自分自身を実験台としつつも、外から冷静に眺める客観性が必要とされます。
このバランスはとても重要だし、また、そこに”何か”が宿っているとすら思う訳であります。
結局、”モノ創り”の現場(厳密には”モノ創り”の感覚)を知らない人物が語る”創造”って、どんな偉い先生だか何だか知らないけど、大抵ちょっとピントがズレていたりするものです。かと言って、モノを創る人が語る”創造”には、良くも悪くも自身の境遇が色濃く反映されてしまって、個別の事例を超えた”客観性”みたいなものを獲得するのが難しかったりもする。
まあ、”研究”の場合であっても、その”切り口”にはやはり”創造性”といったものが反映される訳で・・・何をやるにしても、そのテのセンスは必要だなと。また、そうしたセンスを生み・育てる”環境”というものも存在していたりなんかする訳で・・・
煎じ詰めると<”創造”を創造する>といった問題だったりするのです。
執筆・撮影:関口純
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