それにしても昨今の“正義感”には辟易する。
小学校のホームルームで、大人の期待に応えるべく、思ってもいないことを爽やかな笑顔で平然と口にする“いわゆる優等生”に感じたような苛立ちを感じるのだ。
ある種、生理的な嫌悪感、抵抗とでも言ったような・・・
でもね、何が悪いって、そういったものをまるで“当然”とでも言わんばかりに“社会的な基準”として、なんの疑いもなく“自動的”に受け入れてしまう輩、すなわち「受け入れてしまう側の方がもっと悪い!」などとも思っていたりするのですよ。
こうした積み重ねが、知らぬ間に“戦後”を次の“戦前”に変えてしまったり・・・
なんだかちょっとジャン・ジャック・ルソーみたいだなあ・・・そういえば高一の時、夢中になったなあルソー。
ただねえ、やはり闇雲に受け入れてしまうってのは“諸悪の根源”かなと。
ポリコレ的なコンプライアンスってのは“歪み”だからね。最初から何処かで破綻するのは目に見えているわけで・・・こうしたのが特定の権力(と、その維持)に絡むと特に面倒臭い。
権力側としては「やっぱりやめます。間違ってました」とは口が裂けても言えないもんだから騙し騙しの馬鹿みたいな修正に次ぐ修正で結局、何がしたかったのか分からなくなってしまうという・・・
ただね、“権力側”と思われている人たちが、自分たちのことをそう思っているかどうかってのも怪しくて、この“責任の所在が不明”ってのが一番怖い部分だったりもするんですよねえ。
まあ、兎にも角にも、馬鹿には「馬鹿!」って言ってしまった方が良い場合もあるわけで・・・そういった意味で“紳士的な振る舞い”というやつは些かあてにならないところがあったりするものなのですよ。
さて、明日の文化村サロンは、先週のクレージーキャッツに引き続き、先週の残りと、昭和の女優や音楽等についてお話しさせて頂きたいと思います。
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こちらの内容は7月2日(日)20時〜の配信となります。
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執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy