さて、家呑みタイムを充実させるべく、あれやこれやと作戦を立て、実際に試みた経験のある“酒好き”は古今東西、後を絶たないことだろう。
僕自身、20代の頃からワイン、ウィスキー、日本酒、焼酎とまあ、いろいろ試してきた訳だけれども、冷静に考えてみると「単に酒に酔えればそれで良し」といったような話ではなく、酒、ないしは飲酒の向こう側にもっと文化的な背景、いわばそうした奥行きを楽しんでいたように思うのだ。
こんなことを書くと、ある種の人たちからは「なに気取ったこと言ってんだ!」などとお叱りを受けそうだが、私と同類の人たちも少なからず居られるものと信じて疑わない。
かつて『南仏プロヴァンスの12ヶ月』なる本が大流行したが、その中に“パスティス”なる酒が出てくる。職人が来てもパスティス、何かにつけてはパスティス。さて、このまるで麦茶のように飲まれているパスティスなる酒は一体どんなものなのか?
この“パスティス体験”が全ての始まりだったかもしれない。
当時、青山通りにフランス田舎料理を出す、その名も「パスティス」なる店があったと思うが、早速そこへ行ってみた。20歳そこそこの青年には少々お高い店ではあったが、比較的お安いランチ営業を狙って出かけた記憶がある。で、昼間からパスティス!
これがまた不思議な酒で、元はウィスキーのような茶色で透明な色をしているが、水を注ぐと白濁色に濁るのだ。で、味の方はと言うと、香草系薫る甘い酒。最初の印象は「まずい!」だった。
ところが数日すると、再度あの味を検証したくなってきたからあら不思議。で、たまたま近所に世界中の酒が集まる酒問屋みたいなところがあったもんだから、早速そこへ。店で見たボトルと同じものを見つけ購入。
当然、家で飲む訳だけれども・・・何か違和感が。
目に入る光景が違うのだ。
青山通りの店は、これぞフレンチバルといった趣の木の椅子とテーブル、天井には漁師が使うような網が吊るされている。“いかにも”である。対して、我が家のリビングはどうだったかといえば・・・まあ、一応、ソファ生活&木のテーブルでこそあったものの、擬似洋風というか・・・いわゆる日本的な所帯くささのあるそれ。天井も低いから網なんて吊るせない。もちろんグラスもいわゆる日本的なコップ。
だったらいっそ・・・思いつきを行動に移そうとするそのスピードとエネルギーは若さの特権、ないしは暴走だったりもするが・・・「リビングを南仏プロバンス風にしよう!」などと画策したりなんかもしたものだが、祖母に「そんな寒そうなのは嫌。私が死んでからにしてくれ」と言われ呆気なく諦めた。
魯山人が食器にこだわるのを感覚的に理解したのもこの頃。以降、暇があればデパートの高級食器売り場を見て歩いたり・・・当然、買えはしないんだけど。
とまあ、これは私の青春の一端を記憶の隅から引っ張り出してのエピソード。とは言え、単に過ぎ去った過去のお話をしているという訳でもない。だって、今でもこんな感じだから(笑)
もちろん、“それっぽいもの”を並べて〇〇風なんてものに価値があるとは思っていない。20歳そこそこの私ならいざ知らず、少なくとも今の私にとっては。
とは言え、若き日の私が見ていたものが必ずしも表面的な“それっぽさ”だけに終始していたとも思えない。まあ、実際のところ、どれぐらい自覚があったのかどうかは定かではないが、今から思えば、安っぽい“それらしさ”の中にも文化的な香り、ひいては異文化の香りを感じていた節がある。
実際、食にはその地の文化と切り離せないところがある。少なくとも特定の食(飲食)習慣の形成において、特定の文化的背景というものが存在しているのは間違いない。
その辺りの“美味しみ”を日常生活に取り入れ、細やかながらに豊かな人生(酒呑みにとっての)を歩んで行こうではないかというのが、今回のミッション“おうち酒場化計画”という次第であります、ハイ。
関口 純/音楽家&劇作・演出家
大衆社会という名の戦場で、その“住処”を鉄壁の要塞と化すことに情熱を注ぎ、かつ、“一人呑み”という名の作戦会議において“食”という名の世界地図を広げることを以ってして戦士の休息とする文士、またある時はミューズの女神に色目をつかいながらもバッカスの宮殿で音楽を奏でる宮廷楽士を下野して地上に舞い降りた吟遊詩人。
芸術を生業とする一家に生まれ、幼少よりピアノ、作曲、演出などを学ぶ。その後、日本テレビ音楽(株)サウンドプロデューサー、楽劇座芸術監督、法政大学地域創造システム研究所特任研究員など。音楽から演劇、果ては研究活動に至るまで「止まれば死ぬ」を人生のコンセプトに“常に”吟遊詩人的人生の真っ最中。
執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy