本文は、関口純氏により執筆された論文『演劇創造と社会活動の互換性について〜演劇空間に世界は如何に書き込まれるのか〜』からの抜粋であり、そこから関口存男に関係した部分だけを取り出し、再編集(&若干の加筆)されたものです。
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【関口存男と演劇】踏路社運動 〜演出家の誕生と関口存男〜<はじめに/1〜2>
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8.明日の世界は演劇によって再生できるか 〜<空間>に<力>は如何に書き込まれうるか〜
2.明日の世界は演劇によって再生できるか
<空間>に<力>が書き込まれうるのだとすれば、<なにもない空間>を上演空間とする為に書き込まれる演劇をある種の<力>と考えて差し支えないだろう。
そう考えれば、妻籠の村人たちが演劇を学び実践することで妻籠宿保存という歴史的社会運動の原動力、すなわち<力>を持ったことも頷ける。すなわちドラマツルギーとは<空間>に<力>を書き込む作業なのである。
それでは<力>とは何かといえば、物事を変化させる原因であり、変化には方向が必然的に不可欠である。すなわち、その方向が<思想>という訳である。
そして<思想>はドラマツルギーに於いて、その性質上、論理的思考にフィードバックされ、作品として読み解かれる上での合理性、ある種の根拠を獲得する。その意味で演劇に内在する<思想>はもはや<哲学>となる。
ウィトゲンシュタインはその著書「論理哲学論」の中で「哲学とは教説ではない。活動である。」(ウィトゲンシュタイン,2001)(注48)というが、こと演劇に関して言えばまさにその通りといえる。台本に内在された<哲学>を俳優の身体性を以って<空間>に<力>として書き込む行為が演劇だとするならば、それは<活動>以外の何物でもない。
大正期、名も無い若者たちによる踏路社運動(注49)によってもたらされ、戦後の新劇に於いてその商業性の下に失われて行った演劇の一つの形(新劇の精神)が、皮肉にも信州妻籠に於ける名も無い若い衆により純度を保って継承され、その演劇空間をさらに広いフィールドに移すことで、全国初の町並み保存というまさに歴史の一部をなす<空間>に<力>が書き込まれるに至ったのだ。
そもそも妻籠の演劇研究会はその始まりからして全国初の公民館という<なにもない空間>に<力>を書き込むべく誕生したのであり、最初から社会活動と結び付けられていたのである。
それは疎開先妻籠での村人に対する社会教育の一環として演劇がもたらされたという事情を顧みれば、当然の話ではある。だがここに踏路社運動が目指した演劇に於ける“ある種の芸術至上主義”の本質があるとするならば、これこそまさに踏路社運動の結実とみることが出来るのではないだろうか。
演劇は、<空間>に<力>を書き込むというその性質に於いて潜在的に世界を脱構築する可能性を有する。その限りに於いて演劇は、その創造性をもって明日の世界を再生させることが出来るといえるだろう。そして、これこそ生涯を通して関口を魅了し続けた“演劇”の姿=力だったのではないだろうか。
注釈
(注48)ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』山元一郎訳 2001 100頁。
(注49)1917年の「踏路社運動第一言明表」において既に“踏路社運動”という表記が見られる。40年後、関口は青山杉作の追悼本『青山杉作』に寄稿した「踏路社時代」の中で踏路社時代を振り返り、やはりここでも自分たちの演劇活動を“踏路社運動”と呼んでいる。この<運動>は、ウィトゲンシュタインの<活動>と符合する。
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執筆:関口純
(c)Rrose Sélavy