演劇と社会教育 関口存男 関口存男と演劇

【演劇と社会教育】〜関口存男の実践 著書『素人演劇の実際』に関する考察〜<7>

本文は、関口純氏により執筆された論文『演劇創造と社会活動の互換性について〜演劇空間に世界は如何に書き込まれるのか〜』からの抜粋であり、そこから関口存男に関係した部分だけを取り出し、再編集(&若干の加筆)されたものです。

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【関口存男と演劇】踏路社運動 〜演出家の誕生と関口存男〜<はじめに/1〜2>

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7.演劇創造と社会教育

 関口と村の青年たちを結びつけたとされる勝野時雄(のちに上京し、淑徳大学教授、千葉大学講師を歴任した)の証言によれば「先生がまず私に教えたことは「できるだけ大きい看板を、できるだけ目立つ場所へかけろ」ということだった」(勝野,1959)(注30) 。これは妻籠公民館発足の相談を関口に持ちかけた際の話だ。

 「若い衆は、既に名監督の演出に踊らされる一団の大根役者とでも言おうか、先ず初めに飛び出したお芝居は、「村長さんはどんな人を選んだらよいか」と言う公聴会を開くということであった。先生の脚本によることは申す迄もない」(勝野,1959)(注31)

 もちろんこれは<演劇>の中の話ではなく、実際の村長選びに関する公聴会の話だ。大きな看板は告知・宣伝を意味する。そして公聴会で話し合われるテーマを演目、その目的、いわば筋書きをまさに脚本と演劇に喩えて表現したのである。そうなると次には<演技>、すなわち演じることが必要となる。

 「やがて当日がやって来て、正面議長席に収まっているのは当の関口先生、机の上には小学校で使う大きな振鈴が置かれている。正に自作自演を地でゆく姿である」(勝野,1959)(注32)

 議長の権限として、一部の人間の独占的な発言をある程度制限することが許されたという。その際、鈴を鳴らして注意を喚起したという。確かに芝居掛かっている。すなわち演じられたのだ。

ちなみに作戦会議は関口家の囲炉裏を囲んで行われたという。いわば囲炉裏=稽古場である。肝心なのは、この村政を<演劇創造>に喩えた勝野時雄の一連の話は、単に“ちょっと気取った知的な操作”などでは決してないという点である。

 勝野は「古い宿場部落には、未だに階層的な動かし難い古い秩序が残っていて、このようなことを企むことは、この土地の者にとっては創造以上に容易ならないことである」(勝野,1959)(注33)とし、更に「かつてこの村の人達にこんな機会を持ち得たことは唯の一度だってあったことはない」(勝野,1959)(注34)と述べる。

そうした背景の中、公聴会は思わぬ展開を見せたのである。「何と三十代迄の若い人が(村長に)最も望ましいという結論がとびだしてしまったのである」(勝野,1959)(注35)。

そして「このことは旧来の村の指導者層の先生(関口)に対する憤慨は勿論であったが、それよりも若い諸君に与えた自信と勇気は計り知れないものがあった。「澱んだ盆の水は誰かがかき廻さないと腐ってしまう」先生が繰り返し言われた忘れ難い言葉の一つである」(勝野,1959)(注36)

 フーコーが言うところの“虚構と現実の<非差異>を受け入れる”ことを前提とする演劇の性質をまるで逆手に取った様な話である。そして実際、虚構は現実となったのである。より厳密に表現するならば<虚構>と思われていたものは潜在的な<現実>を有していたのである。実際この後、この観客席を上演空間とした<村政>という名の、いわば場外乱闘型村芝居によって村は再生されて行くことになるのだ。

 「これを契機として、村政について誰もが参加できる懇談会が生まれ、今迄の不明朗な問題は片端からとり上げられ、具体的に処理されるようになった。先生を中心とする演劇サークル、炉端を教室とする語学教室等々が生まれ、これにつれて村中の総ての機能が生々と奔流のように動き始めたのである」(勝野,1959)(注37)

 そして勝野は関口についてこう述べる。

 「私が現在専業とする社会教育の実践者としても、他にこれだけ偉大な人を見出すことはでき難いと思う」(勝野,1959)(注38)

 何故、<演劇教育>が保守的な村社会の変革を促すまでの<社会教育>になり得たのだろうか。

もちろん関口自身の資質もあろうが、ここで見逃してならないのは“演劇に内在するある種の力”についてである。<演劇創造>の過程に於いて“演じられるもの=<戯曲>”と“演じる場=<空間>”に何が内在されうるのか。そして<戯曲>と<空間>に力はどのように書き込まれるのかである。

注釈

(注30)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 292頁。
(注31)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 292頁。
(注32)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 292頁。
(注33)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 292頁。
(注34)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 293頁。
(注35)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 293頁。
(注36)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 293頁。
(注37)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 293頁。
(注38)勝野時雄「妻籠時代の先生」『関口存男の生涯と業績』 1959 293頁。

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【演劇と社会教育】 〜関口存男の実践 著書『素人演劇の実際』に関する考察〜<8-1>

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執筆:関口純
(c)Rrose Sélavy

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